天台宗 蓬莱山普光寺

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天台宗 蓬莱山普光寺 播磨西国17番霊場

縁起

蓬莱山普光寺は今からおよそ1370年前の白雉2年(651年)に法道仙人によって創建されました。現在は平安仏教の比叡山延暦寺を本山とする天台宗に属します。

鎌倉時代に創刊された「峰相記」によると播磨六山の天台宗の一大教団の一つに数えられており、さらには開基においても法道仙人説・徳道上人説の二説が浮上してきます。

峰相記によれば神亀6年(729年)3月2日、官符宣を下されて、長谷寺の観音像を造立した時の第二の木切にて十一面観音を造り、近衛大将藤原房前の御願により建てられました。

その後、徳治元年(1307年)12月14日の火災により講堂・常行堂・三重塔・鐘楼堂・経蔵など全てを焼失しました。以来40年の歳月をかけて再建を図り、貞和3年10月20日に造営供養を終えたと記録されております。

永禄9年(1566年)8月12日、付在田元長父子の掟状案によれば、在田氏が普光寺の寺域を明示して守護不入の特権として寺領500石を認めている。

天正10年(1582年)兵火にかかり、堂宇・旧記類を焼失した。

慶安元年(1648年)に河内村内に50石の朱印寺領を与えられた寺領は、豊臣氏蔵入地・慶長5年(1600年)姫路藩領・幕府領・再び姫路藩領を経て延享4年(1747年)からは一橋家領となる。

昭和13年(1938年)1月8日、修正会により本堂・鐘楼堂・地蔵堂を焼失。

昭和45年(1970年)現在の本堂を再建される。


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